殺し屋の恋
とある町に殺し屋がいた。
彼は自分の生まれを知らない。
気付いた時にはすでに殺し屋だったから。
彼は組織に言われるがまま、多くの人を殺していた。
とある昼下がり。
仕事を終えた彼は町に出かけた。
両手一杯に食料を抱えた後、ついでといわんばかりに、小さな花屋による。
「いらっしゃいませ」
明るい声と笑顔に迎えられ、彼は思わずにやけ顔。
彼は恋をしていた。
殺し屋は花屋の娘に恋をしていた。
「今日も来てくださったんですね。花がお好きなんですか?」
嬉しそうに笑う彼女。
しかし彼には花のことなどわからないし、興味もない。
彼が困っていると、彼女はおかしそうに笑った。
そんな彼女の笑顔が、彼にはとても愛しく思えた。
ある日のこと。
今日も今日とて花屋を訪れた彼。
しかしそこに彼女の姿がない。
こんなことは初めてだった。
そんな時、他の店員達のひそひそ話が。
「ね、今日休んでるあの子。母親からいじめられてるらしいわよ」
「知ってるわ。その母親って、町では有名ないじわるだからね。そんな母親にコキ使われたら、体だって壊すわよね」
彼は黙ってその場を去った。
次の日のこと。
彼は再び花屋に行く。
彼女の姿を見つけて、彼は思わず安堵する。
しかし、娘の憔悴した顔を見れば安心できない。
そこへまた、他の店員のひそひそ話し。
「そういえば、明日はクリスマスよね」
「そうね。でも、あの子はクリスマスにも意地悪されるんでしょうね」
彼はやりばのない怒りを感じた。
同時に。
彼女に何かプレゼントをしたい。
そうも考えていた。
翌日のクリスマス。早朝。
彼は私情で人を殺した。
生まれて初めてのことだった。
今まで感じたことのない大きな喜びと達成感。
これが仕事なら、すぐにこの場を去るべきところ。
しかし今日はプライベート。
このステキなクリスマスプレゼントを、彼女に見せるまでは帰れない。
彼女を苦しめていたいじわるな母親は死んだ。
その死体を見れば、彼女はきっと大喜びするだろう。
彼は洋服棚の中に隠れ、彼女が死体を見つけるのを待った。
その一時間後。
彼女はやって来た。
彼女は悲鳴をあげた。
彼女は床にへたり込み、大声で泣き出した。
これにはたまらずに、彼は思わず洋服だなから飛び出して彼女に駆け寄った。
なぜ泣いているのか、と問うた。
あれは君をいじめていたいじわるな母親じゃないか、とも言った。
彼女は嗚咽を漏らしながら答えた。
「どんなに意地悪でも、私のお母さんなんです。お母さんが死んで、悲しまない人はいません」
そんなバカな、と彼は驚く。
彼は今まで多くの人を殺してきた。
しかし――その家族がどんな心境かなど、知る由もなかった。
だから彼は、つい言ってしまった。
あれは君へのクリスマスプレゼントなんだよ、と。
君が喜ぶと思って、僕がお母さんを殺したんだよ、と。
にやけ笑いを浮かべながら、彼は言った。
「メリークリスマス」
ぱちぱち。
彼が手を叩くのを、彼女は呆然と見つめていた。
そして、乾いた唇を動かす彼女。
「あなたが――」
恐ろしく低い声で、彼女は言う。
「あなたが殺したの?」
彼は満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。
「いやあ、人殺し!」
彼女は彼を突き飛ばし、逃げるようにその場を去った。
それが逃げるようにではなく本当に逃げているのだと、彼は少し遅れて気がつく。
なぜ逃げるのだろう。
彼には理由がわかならい、でも。
このままでは彼女に嫌われてしまう。
彼は彼女を追いかける。
家を出てすぐ、走り去る彼女の背中を見つけた。
町娘の彼女と殺し屋の彼。
どちらの足が速いかは言うまでもない。
彼はあっというまに彼女に追いついた。
しかし何と声をかけたらいいのかわからない。
彼女の後ろを走りながら、彼は言葉を捜し続ける。
しかし見つからない。
なぜって彼には、彼女の気持ちがわからないから。
やがて彼は気付く。
自分はどうあっても、彼女にかける言葉を見つけられないと言うことに。
例え何を言ったとしても。
彼女は二度と、彼に笑顔を見せてはくれない。
必死で逃げる彼女の背中を見て、彼はそう、悟ってしまった。
やがて彼は立ち止まる。
遠ざかっていく彼女の背中。
彼女の気持ちはわからずとも、これが永遠の別れであることは、彼にもわかっていた。
二度とあの花屋には行くべきではない。
二度と、彼女の前に姿を見せてはいけない。
彼は勝手にそう決めた。
そして、町を去った。
その一年後。
彼は相変わらず殺し屋を続けていた。
生まれた時から殺し屋だったから。
組織をやめることもできない。
もとより、その気もない。
今日も今日とて一仕事を終えた彼は、買出しに夜の街へと出かけていた。
「あ、雪が……」
「本当だ、ホワイトクリスマスだね」
すれ違ったカップルが、そんなことを話していた。
どこかで響き渡っている、鈴の音を聞きながら。
彼は一人、闇の中に消えて行く。
その先に、刃物を持った彼女が待ち構えていることに気がついて。
彼は思わず顔をにやけた。
刹那、ナイフを構えて飛び出してくる彼女。
彼は左胸を貫かれ、そのまま倒れ付す。
熱い血が流れていた。
好きだったのにと彼女は言った。
今でも好きだと男は言った。
死ぬのは怖くなかった。
自分が死ぬことで、彼女に喜んでもらえるなら、それでいいと思った。
「メリークリスマス」
彼はそう言ったが、彼女は何も答えなかった。
彼女の顔には、涙が浮かんでいた。
薄れいく意識の中で、彼は。
生まれて初めて、人を殺したことを後悔した。
<<了>>
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