姑獲鳥の可憐


 妹は兄を愛していた。

 兄もまた、妹を愛していた。

 妹にとってはたった一人の兄。

 しかし、兄にとって妹は、十二人いる妹の一人に過ぎなかった。

 兄は全ての妹を愛し、全ての妹に対して優しく接した。しかし、十二分割された愛に不満を抱いた妹もいた。

  自分だけを愛して欲しいと願う妹がいた。

  これは、兄のことを最も愛した妹が犯した、哀しい悲劇の物語。

 

第一章 再開、花穂よ

 

ある夏の日。

四葉探偵事務所に、三つの人影がある。

一人目は、この探偵事務所の所長である、四葉だ。もう一人は助手である凛々。そして、三人目は依頼人、花穂だった。

ガラス製のテーブルを挟んで、ソファに腰掛けて向かい会う三人。四葉と凛々は並んで座り、向かい合う形で花穂が座っている。

余り似ていないが、正真正銘の姉妹だ。

四葉も凛々も、花穂と会うのは久しぶりだった。しかし再開を喜んだのもつかの間。

依頼人として訪れた花穂に、四葉は探偵として接する。

「それで、花穂ちゃん。今日はどういったご用件デスか?」

四葉が切り出すと、花穂はおもむろに口を開いた。

「……可憐ちゃんが、妊娠してるの」

 その一言で、場の空気が豹変した。

 可憐は四つ葉達の姉妹であり、ある事件を切欠に、ひきこもり同然の生活をしている。その可憐が、どうして妊娠など出来るというのか。単純な驚きよりも、そういった疑問が先に浮かぶ。

 四葉に促されて、花穂は俯きながら続きを話した。

「可憐ちゃん、ずっと、お部屋に一人でいたでしょ。それでね、花穂、可憐ちゃんのお母さんから相談されたの」

 可憐ちゃんのお母さん、という言葉は、花穂にとって実の母を示す言葉ではない。文字通り、それは可憐の母であって、花穂の母は別にいる。当然四葉もそれくらい知っているから、そんな事で口を挟んで話の腰を折るような真似はしない。

「可憐ちゃんね、ずっとお部屋に閉じこもっていて、お母さんとも顔をあわせないようにしてたみたいなの。だからね、花穂、可憐ちゃんの様子を見て欲しいって、お願いされたの」

 途切れ途切れに話す花穂。

 その様子は尋常ではなく、まるで何かに耐えるようでもある。

「花穂も、可憐ちゃんのことが心配だったから、会ってみることにしたの。それで、可憐ちゃんのお家に行って、可憐ちゃんのお部屋にね、入ったんだけど、ね。う、うう」

 花穂は目に涙を浮かべていた。

 凛々が心配気に声をかけると、涙を流しながら再び話し始める。

「可憐ちゃんが……可憐ちゃんが。ああっ」

「妊娠していたのデスね」

 四葉の言葉に、花穂はびくっと体を振るわせた。

 そして、

「……うん」

 ゆっくりと、首を縦に振った。

 四葉は凛々と顔を見合わせた。

 言葉はない。

 だが、二人の間には、一つの共通した疑惑が浮かんでいた。

 意を決したように、四葉は花穂に向き直る。

「花穂ちゃん。その、可憐ちゃんとはお話したのデスか?」

 こくん、と頷く花穂。

 その時のことを思い出しているのか、もはや抑えきれないように涙をぽろぽろと流している。

 四葉は一瞬、それを聞く事に躊躇いを覚えた。

 だが、聞かずにはいられない。

「花穂ちゃん」

 ゆっくりと顔を上げる花穂に、四葉は問う。

「可憐ちゃんの相手は、聞きましたか」

 花穂は、嗚咽をこらえながら言った。

「……ちゃま」

 その答えは、四葉も、そして凛々も、真っ先に頭に浮かんだ人物のことだった。

「お兄ちゃまの……子どもだって」

 

 兄が失踪して、すでに一年半が過ぎようとしていた。

 ある妹は兄を待ち続け、またある妹は兄を振り切るように新たな生活を始めている。

 そして四葉は、兄を捜し求めるように探偵の道を歩いていた。

 そんな中、再開した姉妹からもたらされた驚愕。

 兄の子どもを妊娠したという可憐。

 しかし、依然として行方の知れない兄。

「四葉ちゃん、お願い。可憐ちゃんを、助けてあげて……」

 それが、花穂の依頼だった。

 

第二章 可憐とお兄ちゃん

 

 可憐の家を訪れた四葉と凛々。そして花穂。
 
 簡素な創りの扉を前にして、花穂が二人を振り返る。

「ここが、可憐ちゃんのお部屋だよ」

 四葉と凛々に目配せしてから、花穂は扉をノックして可憐に呼びかける。

「可憐ちゃん。四葉ちゃんと凛々ちゃんが来てくれたよ」

 返事はない。

 花穂は静かにノブに手を掛けた。

 華奢な腕に力が入るのがわかる。

 簡素な扉が、やけに重く感じられる。

 ぎぃ、と軋む音を立てて、扉が開かれた。

 

「可憐ちゃん、入るよ」

 扉を全開にして中へ入っていく花穂。四葉と凛々が続く。

「うわっ!」

 部屋に入るなり、凛々が奇声を発した。

「凛々ちゃん、どうしたデスか?」

 四葉は後ろを振り向き、青ざめている凛々に問いかけた。

 凛々は手を口で押さえて、呻くように言った。

「あ、あれ……」

 空いている手で部屋の奥を指差す凛々。

 四葉は首を戻して、改めて部屋を見渡した。

 花穂が立っている。

 その後ろには、大きく盛り上がったシーツとの山と、窶れ果てた可憐の顔があった。

 四葉の視線は可憐の腹部に釘付けになった。シーツ越しにでもわかる大きな膨らみは、可憐が妊娠している事実を如実に物語っていた。

「も、もうダメ」

 凛々はそう呟くと、四葉の手を引いて部屋から出ると、扉を閉めてしまった。

「な、何するデスか凛々ちゃん!」

「何って、とてもじゃないけど、あんな所にはいられないよ。き、気持ち悪い」

 凛々の暴言に、四葉はカッと熱くなるのを抑え切れなかった。

「何てことを言うのデスか! 可憐ちゃんは、四葉達の姉妹なんデスよ?」

「そういう問題じゃあないよ。私には、あんなもの見てられない。どうにかなっちゃいそうだよ」

「可憐ちゃんが妊娠してるのは、花穂ちゃんから聞いてわかってたことじゃないデスか!」

「何言ってるのさ。四葉ちゃんだって見たでしょ、アレ」

「あ、アレって……そんな言い方ないデス。見損ないましたよ、凛々ちゃん!」

 興奮していく四葉とは対照的に、凛々は徐々に落ち着きを取り戻していくようだった。

「四葉ちゃん、大丈夫?」

 その言葉に、四葉は怒りをあらわにした。

「警察を呼んだほうがいいよ、四葉ちゃん。私達に出来ることなんてないんだから」

 それでは、一体四葉達は何をしに来たというのだ。四葉は花穂に依頼されたのだ。可憐ちゃんを助けて、と。

「もういいデス。凛々ちゃんには頼りません。四葉は一人でやります」

「やるって? ハハ、やったのは可憐ちゃんでしょ?」

 皮肉めいた冗談を言って、凛々はへらへらと笑った。

 四葉がきっと睨みつけると、凛々は一瞬哀しそうな顔になって、その場から去っていった。

 

「り、凛々ちゃん……どうしちゃったの?」

 扉を僅かに開けて、花穂が顔を覗かせていた。どうやら今の会話が聞こえていたらしい。四葉は言葉を失った。背中に冷や汗をかきながらも、平静を装ってなんとか言葉を発す。

「な、なんでもないデス。凛々ちゃんは急な用事で帰っただけデス。後は四葉に任せてくださいデス」

 

 薬品の匂いが鼻に付く。

 ホルマリンの匂いだと、四葉は経験から推察した。しかし、あまりにも匂いがきつ過ぎる。鼻から入って全身を駆け巡るような強烈な薬品臭に、全身が支配されたかのような錯覚に陥る。

「四葉ちゃん」

 花穂の声で我に変える。

 視線を落とすと、ベッドには異常なまでに膨張した腹部を抱えている可憐の姿があった。

「可憐ちゃんだよ」

 花穂に言われるでもなく、そんなことはわかっている。わかっているのだが……窶れきった可憐には、以前の面影はほとんどない。 

 窪んだ眼球。痣のような隈。カラカラに乾いた肌。唇は所々が切れている。三つ編は解かれ、白髪混じりの長髪には艶が失われ、ガサガサになっていた。

 凛々の言うとおりだった。

 可憐の様子は明らかに異常で、マトモな神経では見るに耐えない。

 部屋の隅に置かれた本棚が目に入る。床には大きな熊のぬいぐるみが投げ出されている。ああ、気が散る。下できらりと光っているアレはなんだろうか。それにやたらと虫が飛んでいる。ああ、わずらわしい。誰も気にならないのだろうか。

 そのとき、可憐がいきなり四葉の胸倉に掴みかかってきた。

「お、お兄ちゃん。お兄ちゃんはどこ? ほら見て、可憐とお兄ちゃんの子ども、こんなに大きくなりましたよ。ああ、お兄ちゃんはどこ? 早く、早く可憐の所へ帰ってきて下さい。早く、早く早く、この子が産まれてしまうまえに……」

「可憐ちゃんしっかりしてっ。四葉ちゃんが来てくれたんだよ?」

 花穂の一言によって、可憐ははっと我に帰った。

「ご、ごめんなさい、四葉ちゃん。取り乱してしまって……久しぶりね」

 にこり、と微笑む可憐。

 生気のない笑顔を見せられて、四葉もなんとか笑顔を作って見せた。

「今日お伺いしたのは、可憐ちゃんに聞きたいことが会ったからデス」

「うふふ。お腹の子のことでしょう?」

「……そうデス。その子は、兄チャマの子どもだと聞きましたが」

「はい、お兄ちゃんの子どもです。可憐とお兄ちゃんの、愛の結晶……うふふ」

「でも、可憐ちゃん。兄チャマは、行方不明になっているのデスよ。その兄チャマの子どもを、どうして妊娠出来るのデスか?」

「そんなの簡単ですよ、四葉ちゃん。お兄ちゃんは、行方不明になる直前に、可憐を愛してくれたんですよ」

 それは、つまり。

「一年半前に、兄チャマが可憐ちゃんを抱いたのデスね」

 やつれた顔を赤く染めて、嬉しそうに頷く可憐。

「で、デスが……それなら可憐ちゃんは、逆算すると二十ヶ月近く妊娠していることになりませんか?」

 そんなことは有り得ない、何かの間違いではないか、しかし可憐は。

「そうですよ。可憐はもう、妊娠十八ヶ月なんです」

 うふふ、と。

 可憐は優しくお腹をさすった。

 

第三章 復活の千影

 

 四葉は花穂の家に泊めてもらうことにした。花穂の母親は町内会の旅行に行っていたため、二人きりだった。

「ねえ、四葉ちゃんは、可憐ちゃんの言っていたことほんとだと思う?」

 パジャマ姿の花穂に聞かれ、同じく花穂から借りたパジャマに身を包む四葉が答える。

「少なくとも、十八ヶ月も妊娠しているというのは有り得ないデス。そんなに妊娠が続けば、母体である可憐ちゃんの体が耐えられないはずデス」

 その時、玄関から物音がした。続いてインターホンが押されて、花穂と四葉は玄関へ向かった。

 そこにいたのは意外な人物だった。

 兄を探す為に、世界中を放浪していた妹。

「やあ……」

「千影ちゃん!」

 四葉と花穂の声が重なる。

 漆黒のローブに身を包んだ千影は、ひかえめに微笑を見せた。

「兄くんの魂は……まだこの町にとどまっている様だ。地球の裏側には……いなかったよ。私としたことが……とんでもない失態を犯してしまったようだね……」

 千影を迎え入れ、話題は自然と兄についてのものになっていた。

 可憐の異常妊娠について語ると、千影は興味深そうな表情を見せた。

「……神話や民謡の中には……異常に長い妊娠期間を経て生まれた子どもの話はある。しかし……現実にはそうそうお目にかかれるものではないよ……。可憐ちゃんの妊娠と言うのは……おそらく……」

 言い淀む千影。

「ところで……可憐ちゃんの部屋に入ったのは……四葉ちゃんと花穂ちゃんだけかい?」

「凛々ちゃんもだよっ」

「あー、でも凛々ちゃんは、もう帰ってしまったデス」

「……なるほど……そういうことか……凛々ちゃんにだけは……見えたということか…」

「な、何かわかったの千影ちゃん!」

「ああ……考えうる限り……最悪の事態になっているようだ」

 全ての真相を看破したかのように告げる千影。

「可憐ちゃんには……魔がとりついている」

「魔、デスか?」

「そう。そして……」

 四葉と花穂を交互に見る千影。

 しかし、千影がそれ以上何かを言う気配はなかった。

 話を聞いただけで真相を悟ったかのような千影を目の当たりにして、四葉は自分の無力を呪った。昔から千影は、神がかり的な力を持っていたとはいえ、探偵として成長したという自覚を持っていた四葉にとっては、悔しい敗北だった。

 しかし、そんなことを言っている場合ではない。

  四葉は恥を忍んで、千影を頼ることにした。

「千影ちゃん。可憐ちゃんを救う為に、力を貸してもらえませんか?」

「構わないが……間違いなく……つらい結末が待ち受けているだろうね」

「覚悟の上デス」

「花穂ちゃんも……それでいいのかい」

「うん。花穂からもお願い。可憐ちゃんを助けてあげて」

 四葉と花穂に頼まれ、千影は重い腰を上げた。

 その晩、四葉達は千影を連れて可憐の家へと向かうことになる。

 

「兄くんは……すでに死んでいるよ」

 可憐の部屋の扉を前に、千影は誰もが考えないようにしていたことを言った。

 四葉と花穂の顔が青ざめる。

「ど、どういうことデス千影ちゃん。それが可憐ちゃんの妊娠と、何か関係があるのデスか」

 動揺する四葉に、千影は淡々と告げる。

「……全ての答えはこの中にある」

 千影がドアノブにゆるりと手を掛ける。

 そして、扉は開かれた。

 

第四章 消える命、裂く命

 

 中へ入った途端、猛烈な薬品臭が鼻を突いた。

 思わずたじろぐ四葉。

 千影は気にもしない様子で歩を進め、ベッドの前へ進んだ。

「ひさしぶりだね……可憐ちゃん」

 優しく語り掛ける千影に、可憐はきょとんとした顔で、

「まあ、千影ちゃん」

 と言って、膨らんだ腹部を撫でた。

「うふふ、見て。可憐とお兄ちゃんの子ども……。ああ、お兄ちゃんは今頃どこで何をしているんでしょう。早く可憐の元へ帰ってきて欲しいのに……」

 遠い目をして言う可憐の言葉を遮り、千影は冷酷に告げた。

「可憐ちゃん。兄くんなら……ここにいるよ」

 その場にいた全員が目を丸くした。

 可憐も、そして千影の後ろで行方を見守っている四葉と花穂さえも。

「今日私が来たのはね……可憐ちゃんと……そして、四葉ちゃんと花穂ちゃんにとりついている魔を……払うためなのさ……」

 自分の名を出されたことに、四葉も花穂も驚きを見せる。

 

「■■■■■■■■■■!」

 

 突然千影が奇声を上げた。全員がその場に凍りついた。

「■■■■! ■■■■! ■■■■!」

 千影は両手を前で組んだかと思うと、複雑な動きを見せながら、呪文めいた言葉を繰り返している。

「■!」

 呪文の調子が変わる。

 その途端、可憐の様子が豹変した。

 目を見開き、何かに怯えるように体をわなわなと振るわせている。

「■! ■! ■!」

「う、わあああん! ごめんなさい、許してお兄ちゃあん! 可憐は、可憐は悪い子でしたああああっ」

 可憐は狂ったように泣き叫びながら、頭を振り回して暴れまくる。

 そして。

 

 シーツがはだける。

 

 可憐の膨張した腹部が露になる。

 

 そしてはじけるように、

 

 腹が裂けた。

 

 飛沫が上がる。

 濁った液体があたりに降り注ぐ。

 四葉は腰を抜かして、その場に崩れ落ちた。

 そして見た。

 床に転がっている巨大な胎児を。

 いや、違う。

 あれは胎児ではない。

 なにせ、大きすぎる。

 それに服を着ている。

 そして、産まれたばかりだというのに。

 死んでいる。

 ああ、間違いない。

 四葉は確信した。

 あれは、兄チャマだ。

 兄チャマの死体だ。

 薄れていく意識の中で、四葉はようやく兄を見つけた。

 

終章 夢

 

 四葉は夢を見ていた。

 愛する兄と、永遠を誓い合う夢だ。

 

「――ちゃん、四葉ちゃん!」

 我に変える。

 そこには凛々の姿があった。

「あ、ごめんなさいデス。四葉、ちょっと居眠りしちゃってました」

 しっかりしなきゃ、と凛々に励まされて、四葉はすっかり冷め切ったインスタントコーヒーを口にした。

「……夢を、見ていました。兄チャマの夢。それに、あのときの夢を……」

 凛々は何も言わない。いや、何も言えない。

 四葉は一人、それを思い出す。

 

 あの後、四葉は病院で目覚めた。

 千影によると、四葉は半日も眠っていたらしかった。

 そして、千影は全てを語ってくれた。

  可憐が兄を愛するがあまり、妹としてしか扱ってくれないことに逆上し、兄を刃物で刺し殺してしまったこと。

 それによって正気を失い、ベッドの下に死体を隠し、匂いを誤魔化す為にホルマリンを大量に購入していたこと。

 兄が行方不明になったことが知れ渡る頃になって、自分が兄を殺した事実を忘れてしまったこと。

 そして、兄に愛された証を求めて、想像妊娠してしまったこと……。

「そ、そんな話は有り得ないデス」

「この世には……有り得ないことなんてないんだよ……四葉ちゃん」

「で、でもおかしいデス。兄チャマの死体はどこにあったんデスか?」

 四葉と花穂が部屋に入ったとき、兄の死体はなかった……。

「それはね……四葉ちゃん。……見えなかったんだよ」

「そ、それって……」

 

「兄くんの死体は……一年半もの間……ずっとベッドの下に横たわっていた……。けれど……見えなかったんだよ……」

 

 四葉は我を見失いそうになった。

 見えなかった……そんな話が信じられるだろうか。

「凛々ちゃんには……見えていたようだがね……。正気を失った可憐ちゃんにも……花穂ちゃんにも……そして四葉ちゃんにも……兄くんの死体は見えなかった……。私は……それを見えるようにしただけさ……」

 

 ああ。

 四葉は全てを理解した。

 あのときの、凛々の反応も当然だった。

 扉を開けたら兄の死体が見えた。

 だから、すぐ警察を呼べといったのだ。

「そんなことが、あるのデスか……?」

「あるさ……兄くんの死を認めたくないという気持ちは……よくわかる……それ故に……兄くんの死体は……あってはならないものだったのさ……だから……見えなかったのさ」

 

 それからすぐに、四葉は退院した。

 花穂はショックでまだ寝込んでいるらしく、可憐は絶対安静の状態が続いていて、面会もままならないという。

 病院を出た四葉は、焼けるような日差しの下を歩く。

 炎天下の道中、四葉は空を見上げた。

 抜けるような晴天に、目を細める。

 ……やりきれない。

 四葉は何も出来なかった。

 花穂は精神を病んでしまった。

 可憐も救えたのかどうかわからない。

 そして、

 

 兄チャマは、もういない。

 

 涙は出なかった。

 自分の半身を失ったような喪失感と、少しの嫉妬があるだけだった。

 兄を殺し、想像とはいえ兄の子どもを妊娠した可憐……。


 この、夏は。

 

「可憐ちゃんの……夏デス」

 

 誰にともなく呟いて、四葉は大きなため息を吐いた。


 <<了>>


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