妹詐欺
「最近、妹詐欺という新手の詐欺が多発しています。被害者の自宅に美少女が訪問し、「私、お兄ちゃんの妹なんです」などと言って被害者に取り入り、高額な宝石や金品を巻き上げるという恐ろしい手口です。東京都内だけでも十二件の被害が報告されており、警察では同一グループの犯行と見て調査を開始しています。以上、HMニュースでした」
「変わった事件もあるもんだ」
僕はTVのスイッチを切り、昼食の準備をしようと腰を上げた。まさに、その時だった。
ぴんぽーん。
六畳半のアパートにチャイムの音が響く。NHKの集金だったら嫌だな、と思いつつドアを開けた。
「え?」
そこには半裸のボクサーが立っていて、軽快なフットワークから僕に向かって強烈な右ストレートを放ってきた……いや、それは嘘なのだが……その少女を見た僕の胸中は、それほどまでに衝撃を伴うものだったのだ。なにしろその少女は、死んだ僕の妹……かなみにそっくりだったのだから。
「君は、一体……」
目の前の少女は、僕の動揺を知ってかしらずか、とんでもない言葉を口にした。
「私、お兄ちゃんの妹なんです!」
まるで、かなみが生き返ったみたいな笑顔と、明るい声で。
「よろしくね!」
その少女は、僕の心に踏み入ってきた。
かなえと名乗った少女は、「私が昼ごはんを作ってあげるよ!」と言うやいなや、勝手に冷蔵庫をあさって調理を開始した。
トントントン、とまな板の上で包丁が踊る軽快な音。かなえが鼻歌交じりで野菜を切っているのだ。
僕はどうしているかというと、少し離れたところからかなえの後姿を眺めていた。
……似ている。
野菜を切る音にあわせて右足で地面を小突く癖、首を振りながら歌う鼻歌……本当にかなえはかなみに似ている。
「痛っ!」
突然、かなえが小さな悲鳴をあげた。
「どうしたの?」
思わず駆け寄ると、かなえが右手の薬指を押さえていた。包丁で切ってしまったらしく、押さえた指の隙間から血が滲んでいた。
「大丈夫? 痛くない?」
「う、うん」
「ちょっと待ってて」
すぐに救急箱を取り出して、手当てしてあげた。幸い傷口が浅かったから、血もすぐに止まった。仕上げにバンドエイドを貼る。
「これでよしと」
「あ……」
かなえはどうしたらいいのかわからないように立ちすくんでいたが、それも一瞬の事で、
「ありがとうお兄ちゃん!」
すぐに明るさを取り戻して、そう言った。
「どういたしまして。昼ごはんは、僕が作るから、かなえはゆっくりしてていいよ」
「え、でも」
「いいから、いいから」
半ば強引に説得して、僕はかなえの後を引き継いで調理を開始する。どうやらシチューを作ろうとしていたらしい。これなら僕でもなんとかなる。
「はい、出来たよ」
完成したシチューとパンを器に盛って机に並べ、いただきますの号令でかなえと僕の昼ごはんが開始された。まるで、それが当たり前のように。
こうして、僕とかなえの共同生活は、あまりにも突然に始まった。
「お兄ちゃーん。次はこれ買ってぇ〜〜〜」
高級ブランド店に入るやいなや、かなえがバッグを抱えて笑顔を見せた。
僕にはそのバッグがどういうものなのかわからないのだけれど、かなえはとても気に入ったようだ。
「うん。いいよ、買ってあげる」
「わぁい! ありがとうお兄ちゃん! じゃあ次はあの店行こっ!」
「ははは、そんなに引っ張らないで」
「お兄ちゃんが遅いからだよお! ほらほら早くぅ〜〜〜」
かなえに連れられてのウインドウショッピングは、今や僕の楽しみの一つになっている。
「あ、このグッチのお財布も可愛い〜〜〜! ああ、こっちのシャネルのもいいかも。うーん、どっちも捨てがたいよね、お兄ちゃん」
「気に入った? じゃあ、どっちも買ってあげるよ」
「やったあ! お兄ちゃん大好き!」
大喜びではしゃぐかなえを見ていると、僕もなんだか嬉しくなってくる。そんなかなえの笑顔をもっと見たくて、僕はかなえが欲しがる物はなんでも買ってあげていた。
「よう、近頃がんばってるな」
「あ、店長」
「週三回だったバイトを週六にしたのもそうだが、最近のお前は、なんだか輝いて見えるぞ!」
そんな風に言われるのは悪い気がしなかった。かなえが来てからというもの、僕は毎日が楽しくてしかたないのだから。
「仕事もよくやってくれるし。本当に、以前とは見違えたよ。こういうのもなんだが、前は死んだみたいに元気がなかったからな」
「はは、大げさですよ」
「そんなことはないぞ。ほら、今月の給料だ」
「ありがとうございます。それじゃあ、今日はこれで失礼します。お疲れ様でした」
「おう、おつかれさん」
バイトを終えた僕は、アパートへの帰路に着いた。そんな時、ふと通りかかった店が目に留まった。
そういえばかなえ、あれが欲しいって言ってたな。前はお金が足りなくて買えなかったけど……。
僕は自分の財布を見た。
貰ったばかりの給料と、クレジットカードが入っていた。
「お兄ちゃん、お帰り!」
「ただいま、かなえ」
「ねえお兄ちゃん、私今日はフランス料理が食べたいの」
「じゃあ、さっそく準備して行こうか」
こんな時間が、いつまでも続けばいい。
僕は、そう思っていた。
でも……。
それも、今日でおしまいだ。
「何してるの、お兄ちゃん。早く、早く〜〜〜」
「はは、今行くよ、かなえ」
「あー、美味しかった! 私もうお腹いっぱいだよ〜」
運ばれる料理を次々とたいらげ、かなえは至福の表情を浮かべていた。
「かなえ、ちょっといいかな」
僕はかなえの右手をそっととって眺めてみた。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「もう、直ったみたいだね。薬指」
「え、うん」
僕はかなえの右手の薬指に、そっと指輪を嵌めてあげた。
わっ、と驚くかなえ。
「お兄ちゃん、これ……」
「前に、欲しいって言ってたからさ」
「やったあ! ありがとうお兄ちゃん! これからもかなえのお兄ちゃんでいてね!」
「……ごめんね」
「え? 何で謝るの?」
「もう、お金がないんだ……」
かなえにプレゼントした指輪と、今日のフランス料理で、貯金も手持ちのお金も、なくなっていた。
「だから、もういいんだ。かなえはもう、僕のこと、お兄ちゃんって呼ばないでもいいんだよ」
……一瞬の沈黙。静寂を破ったのはかなえだった。
「……知ってたんだ、やっぱり」
「うん……知ってた」
「どうして?」
「え?」
「これが詐欺だって知ってて、どうして私に優しくしてくれたの? 私はお金目当てであなたの妹を演じてたんだよ。なのになんで、なんで無一文になるまで……」
「僕には、かなみっていう妹がいたんだ。でも、かなみは死んでしまった。かなえは……かなみに似てたんだ。だから、初めはかなえをかなみに重ねていた。でも、でもね。一緒に暮らしてて、僕はかなえのことが好きになっていたんだ。かなみの代わりじゃない……かなえのことが好きなんだ」
「……そう、だったんだ。でも……あなたの言うとおり、お金がないのなら、もう、用はないわ。これで……さよならだね」
「うん……」
フランス料理店を後にして、一旦部屋へ戻ってから、かなえは買いだめしたブランド品を抱えて出て行ってしまった。
あとは、ガランとした部屋が残った。
わかっていた。
始めて会った時から、自分が妹詐欺の標的に選ばれただけだということは。
かなえは、僕の本当の妹じゃない。
そんなことはわかっていた。
でも、かなえの笑顔が、例え作り物だったとしても……かなえから貰った幸せな気持ちは、偽者なんかじゃない。
「あ」
部屋の隅で、何かがきらりと光った。
それは、僕がかなえにあげた指輪だった。
「かなえ……ひょっとして僕のために、これを置いていってくれたのか?」
僕は指輪を握り締めて、かなえの後を追った。まだ、遠くには行っていないはずだ。
「……かなえ!」
どこをどう走ったのかも覚えていない。
いつの間にか、入り組んだ路地裏に入り込んでいた。
「バカヤロウ! 自己破産するまで金を巻き上げやがれ!」
「い、嫌です。もう、あの人を騙したくない。あの人は……本当のお兄ちゃんみたいに優しかったから」
「ふざけるんじゃねえ! あいつは単なるカモに過ぎないんだ! 身寄りのないお前を引き取ってやった恩を忘れやがって!」
「うう、でも、もう、もう出来ません!」
かなえの声だ!
僕は声のした方へ路地を駆けていく。
その間も、野太い男の声と、かなえの声が聞こえてくる。
「もう、やめます。人の弱みに付け込む仕事なんて、私には出来ない……」
「奇麗事をいいやがって! オレ達の所以外に、お前の行くところなんかないんだよ! こいつめ、こうしてやる!」
「うっ、痛い。助けて……お兄ちゃん」
「やめろ!」
僕はかなえと男の間に割って入った。
「な、何だてめえは!」
「僕は、かなえのお兄ちゃんだ!!」
「お兄ちゃんだと? ははは、そうか、お前がかなえに騙されてた男だな。かなえはオレ達と正式に契約してるんだぞ。かなえが欲しかったら相応の代価を払ってもらおう」
「……この指輪でいいか」
僕はポケットから指輪を取り出して男に見せた。
「ほう。なかなかいい指輪だな。ふん、そんな女くれてやるよ」
それだけ言って、男は路肩に置いてあったバッグを放り投げてきた。
「そいつは釣りだ。とっておけ」
それは、僕がかなえにプレゼントしたブランドのバックだった。中にも、宝石類がいくつか入っていた。
そして、あっけなさ過ぎるほどあっけなく、男は去って行った。
正直言って、ボコボコにされるくらいのことは覚悟していたのだけれど……とにかく、かなえをこれ以上傷つけなくてすんだんだ。
「ごめんね、かなえ。怖い思いをさせた」
「どうして謝るの、悪いのは私なのに。ごめんなさい……今まで本当にごめんなさい」
「許す事なんて、何もないよ。全部、僕がしたくてしたことだ。そして、かなえは僕に笑顔をくれたんだよ……」
「う、うぅう……」
僕はかなえをそっと抱いて、こう囁いた。
「いいんだ。かなえはここにいていいんだ」
「……ありがとう、お兄ちゃん」
かなえの意思もあって、僕がプレゼントした品の数々は全部お金に換えて、借家も引き払って引っ越す事にした。
「よかったのかい。全部売ってしまって」
「いいの。せっかくお兄ちゃんが買ってくれた物だけど……私はもっと大切なものを貰えたから、それでいいの」
住み慣れた土地を離れ、僕はかなえと二人で歩き出す。
「ねえ、お兄ちゃん。これからどこへ行こうか」
「どこへだって行けるさ、僕とかなえなら」
そうして僕達は、僕とかなえは、再び歩き出した。
<<了>>
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