ちぢむ!



 

ブラックジャックは飛行機でアフリカへ向かっていた。

 恩師である戸隠先生から、緊急の用事で呼び出されていたのだ。

 しかし詳しい理由はブラックジャック自身も聞かされてはいなかった。

「よく来てくれました。ドクター・ブラックジャック」

 空港でブラックジャックを出迎えたのは、戸隠先生の助手である黒人医師だった。

 ジープへ乗り込んだ二人は、挨拶もそこそこに戸隠先生の下へ向かった。

「噂には聞いていたが、ひどいもんですねえ」

 通りがかった村を眺めて、ブラックジャックはそうつぶやいた。

道端で何人もの人が死んでいるのだ。

「この大飢饉で、毎日三千人近く死んでいるんです……。人だけでなく家畜や野生の動物までも……。さあ、研究所につきましたよ」

 白衣を着た恰幅のいい男性が研究所の前に立っていた。戸隠先生その人である。

「戸隠先生! 一体何が起きたんです」

 ジープを降りたブラックジャックが詰め寄ると、戸隠先生は柔和な表情を見せた。

「せっかくこんな奥地まで来てくれたんだ。まずはお茶でもどうかね」

「いや、すぐお話を伺いましょう。あのお手紙はただごとではないようですね?」

「うむ……」

 研究所の一室に入ると、戸隠先生は小さな箱を取り出した。

「まずはこれを見てくれ」

蓋を開けてみると、中には小さな人形の首が二つ入っていた。

「見るのは初めてですが、ここらの風習で作る干し首というやつでしょう?」

 干し首というのは、人間の首から頭蓋骨や脳などを取り除いて干したものだ。首狩族の中にはこれを売り物にする部族もあるらしい。しかしこの干し首はミニチュアのように小さい。

 次に戸隠先生が取り出したのは剥製だった。山猫の剥製だとブラックジャックは思った。

「これはれっきとしたライオンの剥製なんじゃ」

「まさか……」

 ライオンにしてはあまりにも小さすぎる。ということは発育異常だろうか?

「始めはわしもそう思った。発育異常だと……。しかし研究を進めていく上ではっきりとわかった。これは組織萎縮症、つまり体が縮んでいく病気の一種だ。もちろん世界にまだ知られていない奇病だ。しかもこれは感染する。始めは動物だけだったが人間にも感染し、あちこちの村で患者が出た。わしは治療法を探したが見つけることが出来ず、とうとうわし自身も感染してしまったらしい……」

「そういえば、先生は気のせいか……」

 ブラックジャックは気づいた。戸隠先生の体がやたらと小さくなっていることに。

「この一週間でわしの背は縮んでいくばかりだ。これが二分の一か三分の一になると死んでしまうらしい。わしにはもう時間がない。ブラックジャック君、君は優秀な教え子だ。この奇病の治療法を見つけくれないかね」

「どうして世界中に発表なさらないんです?」

「そんなことをしてみろ。世界中は大パニックになってしまう。た、たのむ。君だけが頼りなんだ……」

「せっかくですが、私は医者で学者じゃありませんので……無理ですな」

「ブラックジャック君!」

「どうしてもというなら三十万ドル。日本円で三千万円頂きましょう」

「君は恩師であるわしからも金を取るのか? う、うわさどおりの男だ」

「当然です。先生から病気が移る危険もありますしね」

「は、本音を吐いたな。怖いんだろう。しかしもう手遅れだ。君はすでに感染している!」

「何ですって?」

「病死したライオンに触れたろう。そのとき毛から空気感染したのだ。潜伏期間は一ヶ月。体が縮んでからあわてても、間に合わないぞ!」

「…………」

 もはやこのまま帰るわけにもいかなくなってしまった。自分が感染してしまった以上、ブラックジャックに残された道は自ら治療法を見つけ出すしかないのだ。

「君の部屋は用意してある。朝飯は七時!」

 ――こうしてブラックジャックは奇病の研究を始めることになった。

 

 

 ブラックジャックが研究を始めて五日が過ぎた。

 その間に、戸隠先生の体はなんと三十センチも縮んでいた。

 組織検査、レントゲン、あらゆる調査をしたが原因は全くわからなかった。

 何か手がかりを見つけようと、ブラックジャックは助手を連れてジープを走らせていた。

「ドクター・ブラックジャック。はっきり言って私は逃げだしたい! こんな恐ろしいところ……」

 助手が愚痴をこぼすのも無理はなかった。ブラックジャックとて、この恐ろしい奇病に恐怖を覚えているのだから。

「ん? あそこにサイがいるぞ。かなり縮んでいるな……」

 ブラックジャックはジープを止め、サイに近づいていった。

「よし、血液を採取するぞ。かたっぱしから調べるんだ」

しかし、助手があやまってサイの角で腹をつかれてしまった。

「うわっ、病サイに腹をやられた。か、感染してしまった!」

「角でつかれたくらいで感染はしないだろう……」

「先生もう逃げましょう! ジープで町まで行くんです」

「私は逃げんぞ。なにしろ三千万円の仕事だ」

「じゃあこの車をよこせ。お、おれは逃げたいっ」

 助手は懐から拳銃を取り出していた。銃口がブラックジャックに向けられている。

「やめろっ!」

 すかさず拳銃を叩き落とすブラックジャック。

「約束したら最後までやり遂げるのが私の信条だ!」

「そ、その前にあなたが縮んで死んでしまっても知らないぞ」

「…………」

 七日目の朝、助手の黒人医師は研究所から姿を消していた。

 

 

 ブラックジャックは干ばつ地帯でゾウの死体を見つけていた。ぬいぐるみのように小さなゾウだった。調べた結果、それはれっきとした大人のゾウの死体だとわかった。巨大なゾウが縮んで死んでしまったのだ。顔をしかめるブラックジャックと戸隠先生。

「ゾウ思う?」

「ゾウもこうもないですな」

 十日目にして近くの村が全滅した。

 死体はたった三十センチにまで縮んでいた。もちろん人間の死体が、である。

「一つだけはっきりとわかったことがある。病気が広がるのは、決まって飢饉のひどいところだ。だが……」

 わかっているのはたったそれだけなのだ。

なぜ体が縮んでしまうのか。その原因は全くわからなかった。

「なぜだ! わけがわからない!」

 ブラックジャックは恐怖に怯えている自分に気がついた。今すぐ逃げ出したい衝動にも駆られた。しかし治療法を見つけなければ自分が死んでしまうのだ。そして何より、ブラックジャック自身の誇りが逃げ出すことを許さなかった。

「絶対に治療法を見つけてやる!」

 

 

 十四日目。

 ブラックジャックは戸隠先生の手術を開始した。戸隠先生はすでに子供のように小さくなっていた。甲状腺を切開して治療物質を埋め込む。効果があるかどうかはわからない。しかしメスを持った以上どんなことをしても治すのがブラックジャックの信条だ。決して失敗は許されない……!

「たのむ、これでなんとか縮むのが治ってくれ……」

 手術を終えた後、ブラックジャックは祈るような気持ちでそう呟いていた。

――しかし手術は失敗だった。

戸隠先生の体は縮む一方だった。とうとう赤ん坊ほどの大きさになり、昏睡状態に陥ってしまったのだ。命の危険にかかわる、極めて危険な状態だった。強心剤注射と瀉血輸血を繰り返す。午後になってようやく戸隠先生は意識を取り戻した。

「寝ている間にふと思ったんだがね……どうして飢饉の地域だけにこんな症状が起こるか考えたことはあるかね?」

 首を振って答えるブラックジャックに、戸隠先生は続きを話した。

「野ネズミは餌が不足すると、生まれてくる子は小さくなって、生き延びるのも少なくなるじゃろう?」

「はい、しかし……それは病気ではなく自然現象です」

「そう、自然の仕組みなんじゃ。ひょっとしたら、それと同じなんじゃあないかとね……」

「原因もわからず、体にも異常がないはずなのに死んでいく……。なんともないのに死ぬのを、先生は自然の仕組みとかたづけられるのですか? それじゃ解決になりません!」

 ブラックジャックは苛立っていた。

どんな病気にだって治療法はあるはず。それさえ見つければ……。

「くそ、ヒントをくれ! 俺にヒントをくれたやつには、三千万円どころか一億円くれてやるぞ!」

 ブラックジャックはそれからも熱心に研究を続けた。そしてふとあることに気づいた。

「待てよ。動物にも感染するなら、もっと大群が死んでもおかしくないはずだ。これはどういうことだ?」

 なぜそこに気がつかなかったのだろう……ブラックジャックは一つの確信を持った。

「動物は予防策を知っているんじゃないか?」

 藁をも掴むような気持ちでジープを走らせたブラックジャックは、とうとうそれを目撃した。草食動物であるゼブラが、病気で死んだ仲間の死体を貪り食っていたのだ。

「そうか、わかったぞ! 病死した組織の毒素から免疫が取れることを本能的に知っているんだ!」

 ブラックジャックは大急ぎで研究所へ引き返した。そして病気で死んだゼブラの体から血液を採取し、免疫血清を作り出すことに成功した。

「先生! 血清が出来ました!」

 さっそく戸隠先生に注射しようとするブラックジャック。しかし戸隠先生はなぜかそれを拒否した。ベットの上で弱弱しく首を振る戸隠先生。

「も、もう無駄だろう、わしは……もう覚悟は出来とるよ」

「せ、先生。私は先生を助けたいのです。私は、ここまで頑張って突き止めようとしたのです。私は敗北したくない。いま少し時間を!」

「ブラックジャック君、もういいんだ。この病気には正体などなかったのだよ。もし何のせいだというのなら――これは神の警告だろう」

「か、神ですって」

「わしには……神のおぼしめしが見えるようだ。この飢饉の中でい、生き物が小さくなくなるということは……限られた地球の食料を、生き物全部に分かち合うためには……体を縮小しなければだめだと……そういう……ことなのかも……」

 戸隠先生がそれ以上喋ることはなかった。そのまま静かに……息を引き取っていった。

「戸隠先生!」

 ブラックジャックの叫びが、研究室にむなしく響いていた。

「くそ!」

 ブラックジャックは戸隠先生の遺体をそっと抱えた。その体は人形のように小さかった。しかし確かな重みを持つものだった。

「神様とやら! あなたは残酷だぞ!」

 ブラックジャックは夜空に向かって叫んだ。

「医者は人間の病気を治して命を助ける! その結果世界中に人間が爆発的に増え、食料危機が起きて何億人も人が飢えて死んでいく……! そいつがあなたのおぼしめしなら……」

 ――医者は何のためにあるんだ!

 ブラックジャックの叫びにも答えが返ることはなかった。

 夜空にはただ無数の星々が瞬きあうだけだった。

 

  <<了>>


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